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最高裁判所大法廷 昭和23年(れ)1140号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人諏訪栄次郎の上告趣意第一點について。

旧刑法第二編第四章第九節第二三四條のいわゆる公選投票賄賂罪の規定は、所論のように明治一三年太政官布告第三六號によって制定されたものである。しかしながら、この規定は旧憲法が明治二二年に制定されたときに、その第七六條によって「憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令」であつて「遵由ノ効力ヲ有ス」るものと認められ、現行刑法が明治四一年一〇月一日から施行されるに當つて旧刑法を廢止した際にも、刑法施行法第二五條によって「當分ノ内刑法施行前ト同一ノ効力ヲ有ス」るものとして存置されたまゝ今日に至つたものである。

さればこの規定は太政官布告として制定された際には、もとより議會の關與によつて成立したものではないが、旧憲法の施行とともに実際上においては法律と同様の効力を有するものとして取扱われ、明治四一年に至つて形式上においても法律によつてその内容を是認されて法律と同一の効力を有することゝなつたのである。ただ、刑法施行法は前記のように當分のうちその効力を有すると規定しているのであるから、この規定の内容は早晩改正されることが豫想されたものと言わなければならない。そして、その内容は論旨に指摘するように今日においては他の法律の規定と權衡を失し時代に添わない感のあることも事実である。しかしながら、この規定は賄賂を伴う公選の投票に關する一般的所罰規定を欠いたこれまでの經過において、実際上必要な規定として適用されてその効力を持續して來たのであるから、前記刑法施行法に「當分ノ内」の字句があるとしても、他の法律によって廢止されないかぎり法規としての効力を失つたものと言うことはできない。新憲法は、第九八條において「その條規に反する法律、命令、詔勅」等の効力を有しないことを規定している。從つて、その反面解釋として、憲法施行前に適式に制定された法令は、その内容が憲法の條規に反しないかぎり効力を有することを認めているものと解さなければならない。次に、上告人はその論旨において、本件の公選投票賄賂罪の規定は、何人が何人に投票したかを明かにしなければその犯罪の成立を認めることができないから、投票の秘密を保障する憲法の精神に反すると主張している。もとより、選擧における投票の秘密は新憲法第一五條第四項の保障するところであるから、前記規定の内容も憲法の趣旨に適合するようにこれを解釋しなければならないことは言うまでもない。從つて、新憲法下において、右規定を適用するに當つては、何人が何人に投票したかの審理をすることは許されないものと解すべきである。しかしながら、右の規定の適用については、賄賂の授受及び投票の事実を明かにすれば足りるのであつて、必ずしも何人が何人に投票したかを明かにすることを要するものではないから、右の規定は新憲法の條規に反するものではなく論旨は理由がない。(その他の判決理由は省略する。)

よつて、刑訴施行法第二條、旧刑訴法第四四六條に從い主文のとおり判決する。

以上は、裁判官全員の一致した意見であって、論旨第一點に對する裁判官齋藤悠輔の補足意見は次のとおりである。

旧刑法第二編第四章第九節公選ノ投票ヲ偽造スル罪第二三三條乃至第二三六條の規定は、明治一三年太政官布告第三六號を以て公布せられ、同一五年一月一日より施行された、いわゆる法律を以て規定すべき事項たる一般実體刑法に關する事項を規定した旧刑法の一部に属するものである。そして右規定は、他の旧刑法規定と共に旧憲法第七六條により遵由の効力を認められその後明治四〇年法律第四五號現行刑法施行と共に旧刑法廢止せらるに當り、明治四一年法律第二九號刑法施行法第二五條第一項を以て、刑法以外の「公選の投票を偽造する罪」に關する特別法として當分の間刑法施行前と同一の効力を認められ同條第二項により所論の刑名は刑法の刑名に變更され、所論の附加罰金は廢止され、その他刑法の総則が準用されることになり、姿はもとのまゝではあるがその実體は刑法と同じく近代化したのである。されば右旧刑法の規定は坊間店頭に存する六法全書の刑法篇の刑法施行法を去る遠からざる箇所に特筆大書されその存續することは何人も知るところであらねばならぬのである。

元來右旧刑法の規定は、旧刑法においては信用を害する罪の第九節として專らその行爲の態様に重きを置きいわゆる偽造罪の一種として規定されたものであったが、その被害法益の點から見れば寧ろ公選に關する罪である。然るに公選は多種多様であり、しかも各種の公選に關する罪も多種多様であって獨り偽造罪に限らない。こゝを以て、取り敢えず右旧刑法の規定を「公選に關する偽造罪」の部分に限り、その部分に關する特別法の一般原則規定として當分の間存置し、各種の公選に關する罰則制定の際その部分に限り、例外規定を設けることゝし、更らにその部分をも包含した各種の公選に關する罰則を整理統合してこれに通ずる一般規定を刑法中に設くると同時に右旧刑法の規定を廢止する立法方針を採つたのである。されば右旧刑法の規定は、公選に關する罪の一部を規定するに止り且つ他に例外規定のない場合の補充的規定であつて、適用範圍の極めて狭いものである。從つてこれを他の選擧に關する法律全體と比較して論ずる所論は當らないのみならず當該部分を比較すれば他の規定は、或は未遂豫備の段階を獨立罪として罰し或は寧ろ刑を重くしているのである。それ故例えば多くの同種の公選の罰則規定に準用され、しかも新憲法と共に改正実施中の所論衆議院議員選擧法第一四九條には「明治一三年第三六號布告刑法第二編第四章第九節ノ規定ハ衆議院議員ノ選擧ニ關シテハ之ヲ適用セス」と規定して前記立法方針を明らかにすると共に新憲法下の今日においてもなお、前記規定の存續を肯定しているのであって、その存續について何等所論のごとき憲法に違反するところはないのである。そして右の旧刑法の規定を廢止する意圖の下に起草せられたのが曩に公表された改正刑法草案假案第二編第六章公ノ選擧ニ關スル罪ノ規定である。然るに国歩遅々諸行無常、かくて刑法施行法第二五條の「當分の間」は、なお當分の間續くのである。先人努力の跡概ねかくのごとくであって、しかも、その先人の多くは今日地下に歸し、しかもその努力の成らざる概ねかくのごとくである。されば右規定の「當分の間」をしかく性急に解する所論は、たゞに法を解しない論たるに止まらず遂に人生を知らざるものである。

なお所論旧刑法第二三四條の「賄賂ヲ以テ投票ヲ爲サジメ又ハ賄賂ヲ受ケテ投票ヲ爲シタル」犯罪の成立は所定の構成要件を充足する事実あるを以て足り、所論のごとく何人が何人に投票したかを明らかにする要あるものではないからこの點においても憲法の精神に反するところは毫も存しない。論旨は採るを得ない。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介)

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